果てしなき流れの果てに

アラフォー主婦、うつ病&隠れ毒親に関する記録。

初めて飲んだ抗うつ剤・レクサプロで病的な不安に襲われた話

初めて心療内科を受診した日、レクサプロという抗うつ剤と、副作用対策として吐き気止めが処方されました。医師の説明では、抗うつ剤の中でも新しいものとのこと。ネットで検索してみても「よく効く」という口コミが多いので期待していました。


しかし、それを5日間服用したところ、猛烈な不安に襲われるようになりました。町内会の仕事のことなどはまだしも、布団から起き上がること、トイレに行くこと、食事をすること、そういうことまで何もかもが不安。時計を見ても不安。理性ではそんな風に感じるのはおかしいと分かっていても不安。


薬を飲むまでは、ただグッタリと寝ていれば一応は落ち着いたのに、寝室で寝ていても落ち着かなくて居間のソファへ移動、そこでも落ち着かないのでまた寝室へ移動、それからまた居間へ……と、家の中でひたすら移動を繰り返すようになりました。


この時は、抗うつ剤を飲むのが初めてだったこともあり、これが薬の害作用だということに気づきませんでした。1週間後に再び受診して薬を変えることになりました。


あともう一つ、レクサプロ以外にも完全に合わなった薬があって(あとでお薬手帳を見返して薬名を書き加える予定)、それを飲んだ時の苦しみはレクサプロ以上でした。文字通り床をゴロゴロ転げ回り「うぉぉぉぉぉぉ!!!」と強烈な不安と焦燥に苦しみました。あんな思いをしたのは初めてです。体質に合わない抗うつ剤は怖いですね。その時はすでにレクサプロで学んでいたので、薬のせいだと気づき、すぐに飲むのをやめました。


以来、薬を変える時には注意をするようになりました。薬が体に合わなかった時はどのような症状が出るのか、合わないと思ったらすぐに飲むのをやめてもいいかということをしっかり医師に確認してから処方してもらうようになりました。

うつ病の急性期――私の場合

うつ病には一般的に「急性期」「回復期」「再発予防期」の3段階があると言われています。

 

私の急性期は2016年6月から9月くらいまで続いたように思います。まるで心身のブレーカーがバチンと強制的に落ちたようで、何もできなくなった時期でした。そして身体には驚くほどたくさんの症状が現れました。


以下、その時の症状と行動について思い出して書いてみます。


・家事を夫に頼む

私は当時専業主婦で、うつ病になるまではほぼすべての家事をしていました。

下の記事で、私はその前にも引越しうつになったことがあることと、自分がうつ病だと思った段階ですぐに病院の予約を夫に頼んだことを書きましたが、それと同時に、自分の代わりに家事をしてほしいと泣きながら夫に伝えました。引っ越しうつの時に、自分で無理を感じながら家事をこなした経験があったので、早めにSOSを出したのです。

 

hateshinakinagarenohateni.hatenablog.com

 

ただ、当時1ヶ月に1~2回つけていた日記を見ると、急性期の間も、町内会の班長の仕事と(回覧板や広報の配布、1〜2ヶ月に一度の会合出席)、子どもの習い事の送迎だけはなんとかやっていたようです。ちなみに日記は、元気な時であれば月に10回程度書いているので、急性期の間、やはり書く頻度は激減しています。


・寝たきり、過眠

立ち上がる気力すらもなくなり、トイレ以外はほとんど起きられませんでした。洗顔・入浴・着替えは1週間に1~2回でした。頭はかゆいし、顔もガピガピしてしまい辛かったです。とても虫歯になりやすい体質なので、歯磨きだけは自分に鞭を打って日々なんとかこなしていました。
毎日、ずっと布団で寝ていました。そのうち不眠や早朝覚醒が出てくるのですが、最初のころはとにかく眠っていたような気がします。


・食欲不振、体重減少

食欲はまったくなく、食べられても2~3口がせいぜいで、最初の3週間で3kg体重が減りました。そもそも起き上がる気力がないので、のどが渇いても思うように水さえ飲めませんでした。
ある時、ソファで寝ていたら、そこからすぐ(1メートル)のところにあるテーブルに家族が食事を用意してくれましたが、どうしても起き上がってそこまで行くことができなかったのを覚えています。


・歩き方がおかしくなる

精神医療の従事者は、精神疾患のある人を、歩き方を見て判別できるという話を聞いたことがあります。私は、猫背ですり足になって、歩幅も極端に狭くなり、まるで老人のような歩き方しかできなくなりました。自分でこれはおかしいと思い、背筋を伸ばして歩幅を広げようとしても、ほんの数秒しか続きませんでした。
うつ病になると運動に障害が起こるのではないかと感じました。脳から体へと正しい命令を送ることができなり、思うように体を動かせなくなるように思います。


・全身が凝り固まる

上の項目に関連して覚えていることがあります。2016年10月、もともとあまり良くない右肩が痛くて痛くて耐えられなくなったので、布団の上に起き上がって肩を軽く回しました。なぜその月を覚えているかというと、その年の6月に倒れて以来、初めて肩を回したからです。
以前は週に1,2回ジムに通って筋トレやストレッチをしていましたが、倒れてからはそれどころではなくなって、布団の中でもほとんど動けなかったために、私の全身はバキバキに固くなっていました。肩以外にもあちこちが凝って痛かったです。


・体が異様に重くなる

うつ病になると体が鉛のように重くなると聞いたことがあります。私も一度だけですがそれを実感しました。それまで感じたことのない異様な感覚でした。おそらくこれも運動の障害の一つだと思います。健康な時なら脳が全身を、上手に、繊細に制御しているのが、うつ病になるとそれができなくなって、手足の本来の重さを脳がそのまま感じてしまうのだと思います。


・不安感、焦燥感

うつ病になり、いろいろなことができなくなったことに対しては、頭では割り切っていましたが、にもかかわらず、訳のわからない不安感や焦燥感は常にありました。精神的なものというより、身体的な不快感と深く結びついていたように思います。


・胃腸の不調、胸の圧迫感、息苦しさ

どちらかというと下痢気味でした。常にお腹に変なガスが溜まっていました。胸には、手でギュッと押さえつけられたような苦しさもありました。呼吸が浅くなり、意識しても深く息を吸い込むことができませんでした。
これらの症状は、とても苦しかったです。お腹や胸の気持ち悪さは、そのまま不安感や焦燥感につながっていました。


・頭痛

はっきりと覚えてはいませんが、頭痛はつねにしていたように思います。


・神経過敏(聴覚過敏、嗅覚過敏)

もともと私の家は交通量の多い道路際にあり、引っ越してからずっと騒音には悩まされていました。しかし、うつ病になってからの騒音の苦しさは、それまでの苦しさの比ではなく、筆舌に尽くしがたいものがありました。また、嗅覚も過敏になり、夫が使う洗濯用合成洗剤の匂いがきつくて苦しかったです。
神経過敏については後日あらためて独立した記事を書きたいと思っています。


・耳鳴り

ときおり、キーンという耳鳴りがするようになりました。それまで耳鳴りになったことはないので、これもうつ病の影響でしょう。


・同居の家族以外と連絡を取らなくなる

友人知人と連絡を取ることはほとんどできなくなりました。メールチェック自体、一週間に一回くらいしかできませんでしたし、届いたメールに返事をすることも諦めました。(数ヶ月経つとたまに外出するようになり、メールをくれた相手に会う機会もできたので、その時に謝りました。)
2016年の夏休みは旧友グループで旅行を計画していましたが、6月に調子を崩した時点でこれは行けないと悟り、すぐに参加をキャンセルしました。前年から約束して楽しみにしていた旅行だったので悔しかったです。

余談ですが、具合が悪くなりはじめてすぐ、前から約束していた友人たちとのランチ会がありました。それには無理をして行った記憶があります。とにかく体と頭が重くて重くて、到底時間通りには行けませんでした。約束の時間を1時間近く過ぎて、皆が食事を終える頃にようやくたどり着きました。(今思えばキャンセルすればよかったのに……)


今回の記事は以上です。

初めての心療内科受診

初めて行くことになった心療内科は、車で15分ほどのところにあるビルの一室で、病院と言うよりはオフィスといった雰囲気でした。待合室にはクラシック音楽が流れていました。壁一面にポスターが貼られ、たくさんのリーフレットも置いてあって、脳を病んでいる私には情報量が多すぎ、非常にうるさく感じたのを覚えています。


受付には「キャンセルの際は必ず連絡を入れてください」という旨の注意書きがありました。心療内科という性格上、予約通りに来ない人も多いのだろうなと思いました。(のちに自分もそれをやってしまうことになるのですが)


待合室のソファにはすでに数人の男女がいました。それ以降も次々と新しい患者さんがやってきます。ずいぶん流行っているようでした。


私もソファに座りましたが、背もたれにぐったりともたれかからないといけないくらい体調が悪かったのを覚えています。ビルの中の階段を下りる時もフラフラでした。後日、少し調子が良くなってきた時に、その待合室で、土気色の顔でソファにしなだれかかっている患者さんを見ました。私も最初はこうだったのだな、と思いました。

 

診察してくれた医師は物腰の柔らかな初老の男性で、現在の症状の他、家族構成や生育歴や学歴などを一通り聞かれました。メンタル系の病院では医師の方から病名を言い渡すことはないという話をネットで目にしたことがあったので、「これはうつ病ですか」と聞いてみたところ、「そうだと思います」との返事でした。「どれくらいで治るでしょうか」という私の質問に、彼は言いました。「2~3ヶ月だと思います」。


そして私は抗うつ剤を処方してもらいました。

 

半年後、私はその医師に見切りをつけて転院しました。このあたりはまたおいおい書いていきたいと思います。

うつの始まり~心療内科予約まで

2015年6月のある朝、車で2時間ほど離れた実家に住む父から電話がありました。

「お母さんが倒れて入院した」

すぐ病院へ向かうと、そこには一命はとりとめたものの半身不随になって弱り切った姿の母がありました。

 

 母にはもともとそれ以外に進行性の重大な持病がありました。しかし西洋医学に不信感を持っている母は病院での治療を拒否し、(家族から見るとあやしげな、そして高額な)民間療法などを頼っていたようです。

 

半身不随になった母の姿も、持病がのっぴきならないところまで進んでいるのにあやしい民間療法に彼女が傾倒していることも、私には相当なショックでした。この人は死ぬのかなと思いました。

 

それに加えて、母は自分の身の回りの物やお金に対する管理力がきわめて低く、大量の買い物をしては絶対に捨てないという、モノに異常に執着する性格のため、実家は近所でも有名なゴミ屋敷です。

 

母は死ぬかもしれない。そしてあのゴミだらけの屋敷は私がなんとかしなくてはいけない。片付けに関しては父も弟もその能力があるとは思えません。それは大変なプレッシャーでした。

 

おいおい書いていきますが、その時私が「実家」と呼ぶ家は3ヶ所ありました。大きな母屋と、その敷地内にある平屋(両親はここで生活していました)、さらにその隣に借りているアパートで、そのすべてが程度の差はあれゴミ屋敷です。両親が最後に生活していた家だけは、築1〜2年と新しいのでだいぶマシでした。

 

私はひとまず1週間に2回母を見舞うことに決めました。そして昼間は病院に顔を出し、夜は平屋を家を片づけました。民間療法のパンフなども大量に出て来ては私の精神的負担に拍車をかけました。その後はそのまま平屋に泊まって翌日帰宅していましたが、頭の中をさまざまな考えが渦巻いて、夜はまったく眠れませんでした。

 

その生活をきっかり2週間続けたところで、私は自分がおかしいことに気づきました。見舞いに行く日を除いて毎日寝込んでいたのです。そして布団の中でずっと涙を流していました。

 

私はその2年ほど前に引っ越しうつになったことがありました。生きるためのエネルギーが枯渇してしまったような感覚があり、家事をするのもままならず、食事の支度をしている最中にだるくてだるくて台所の床に寝っ転がったりすることさえありました。とてもつらくて病院に行きたかったのですが、病院を探したり予約したりする気力さえもなく、ただ家で寝ていました。その時は幸い半年ほどで自然に治りました。

 

「これはあの時と同じだ!!」と悟った私は夫に「メンタルの病院を探して予約して欲しい」と文字通り泣いて頼みました。今の自分には病院を探したり予約したりする精神的な余裕は一切ないと分かっていたからです。

 

夫はインターネットで近所の病院の評判を調べて心療内科を予約してくれました。そして私は生まれて初めて心療内科を受診することになります。