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果てしなき流れの果てに

アラフォー主婦、うつ病&隠れ毒親に関する記録。

うつの始まり~心療内科予約まで

2015年6月のある朝、車で2時間ほど離れた実家に住む父から電話がありました。

「お母さんが倒れて入院した」

すぐ病院へ向かうと、そこには一命はとりとめたものの半身不随になって弱り切った姿の母がありました。

 

 母にはもともとそれ以外に進行性の重大な持病がありました。しかし西洋医学に不信感を持っている母は病院での治療を拒否し、(家族から見るとあやしげな、そして高額な)民間療法などを頼っていたようです。

 

半身不随になった母の姿も、持病がのっぴきならないところまで進んでいるのにあやしい民間療法に彼女が傾倒していることも、私には相当なショックでした。この人は死ぬのかなと思いました。

 

それに加えて、母は自分の身の回りの物やお金に対する管理力がきわめて低く、大量の買い物をしては絶対に捨てないという、モノに異常に執着する性格のため、実家は近所でも有名なゴミ屋敷です。

 

母は死ぬかもしれない。そしてあのゴミだらけの屋敷は私がなんとかしなくてはいけない。片付けに関しては父も弟もその能力があるとは思えません。それは大変なプレッシャーでした。

 

おいおい書いていきますが、その時私が「実家」と呼ぶ家は3ヶ所ありました。大きな母屋と、その敷地内にある平屋(両親はここで生活していました)、さらにその隣に借りているアパートで、そのすべてが程度の差はあれゴミ屋敷です。両親が最後に生活していた家だけは、築1〜2年と新しいのでだいぶマシでした。

 

私はひとまず1週間に2回母を見舞うことに決めました。そして昼間は病院に顔を出し、夜は平屋を家を片づけました。民間療法のパンフなども大量に出て来ては私の精神的負担に拍車をかけました。その後はそのまま平屋に泊まって翌日帰宅していましたが、頭の中をさまざまな考えが渦巻いて、夜はまったく眠れませんでした。

 

その生活をきっかり2週間続けたところで、私は自分がおかしいことに気づきました。見舞いに行く日を除いて毎日寝込んでいたのです。そして布団の中でずっと涙を流していました。

 

私はその2年ほど前に引っ越しうつになったことがありました。生きるためのエネルギーが枯渇してしまったような感覚があり、家事をするのもままならず、食事の支度をしている最中にだるくてだるくて台所の床に寝っ転がったりすることさえありました。とてもつらくて病院に行きたかったのですが、病院を探したり予約したりする気力さえもなく、ただ家で寝ていました。その時は幸い半年ほどで自然に治りました。

 

「これはあの時と同じだ!!」と悟った私は夫に「メンタルの病院を探して予約して欲しい」と文字通り泣いて頼みました。今の自分には病院を探したり予約したりする精神的な余裕は一切ないと分かっていたからです。

 

夫はインターネットで近所の病院の評判を調べて心療内科を予約してくれました。そして私は生まれて初めて心療内科を受診することになります。